著作権侵害が成立するためには、単に被疑侵害品と著作物とが類似しているだけではなく、「依拠性」という要件も必要である。
この「依拠性」とは、被疑侵害者が原作品を知っており、それに基づいて自己の作品を創作したことを意味する。
依拠性の概要
依拠性とは、簡単に言えば「真似した」ということである。
具体的には、被疑侵害作品の作成者が、著作物を見たり聞いたりしていて、記憶に残っていたことが必要となる。
つまり、偶然による一致(独立創作)ではなく、著作物を参考にして創作されたことが立証されなければならない。
立証方法
依拠を証明する責任は、権利を主張する著作権者にあるが、被疑侵害者が依拠したことを直接立証できる証拠を得ることは、まあ難しいかと思う。
そのため、実際は依拠性の存在を推認させる間接事実によって立証することとなる。
具体的には、例えば以下のような事情から推認が可能とされている。
- 著作物が広く公開されており、アクセス可能であった
- 依拠性が認められるほどに著作物と内容が非常に似ている(依拠が無ければ、ここまで似るとは考えられない)
特に後者は、創作性を有する部分だけでなく、誤字、誤植や電子透かしといった要素までもが類似していれば、依拠性が認められる間接事実となり得る。
実際、「依拠がなければこれほど似ないであろうというほどに類似している場合には,依拠の存在が推認される」とした裁判例は、「城の定義事件(東京地裁 平成4年(ワ)第17510号)」をはじめ、過去に幾つか存在する。
その他、入手は困難かもしれないが、以下のような情報もあれば、依拠性が推認される方向に傾くと思われる。
- 被疑侵害者が原作品を閲覧・視聴した機会があった
- 被疑侵害者と原作者との間に接点があった(職場、コンペ、SNSなど)
著作権を侵害しないために
被疑侵害者としては、「どこかで見たかもしれないが、真似はしていない。偶然似てしまっただけ」(無意識の抗弁)と反論したくなるだろう。
しかし、著作物へのアクセスが可能であったならば、このような反論は認められないというのが通説である。
無意識であっても、実際に過去に見たり聞いたりする可能性が否定できなければ、法律上免責されることは無いと考えた方が良い。
よって、自身の作品をブログやSNSなどに掲載する場合、それが「自身が独立して創作した」と考えているものであっても、その作品と酷似する既存の著作物が無いかは念のため確認しておくべきだと思われる。
たとえ著作物にアクセス可能であったとしても、依拠性が認められるほどに酷似していなければ、依拠性が認められる可能性はある程度抑えられるからである。
逆に、万が一ネット上などに物凄く類似する著作物があれば、本当に自ら独立して創作したのだとしても、間接事実から依拠性が推認されるリスクが高くなってしまう。
類似性の高さが依拠性を推認する間接事実としても機能することを踏まえると、結局行き着くところとしては、「できるだけ既存の著作物と類似するものは出さない」という普通の結論に落ち着くのではないかと思う。
もちろん、既存の著作物に依拠せず、独自創作した経緯(制作の時系列など)を合理的に説明できるに越したことはない。
例えば、AIでコンテンツを生成したのであれば、生成時のAIツールやプロンプトを控えておくと良いかもしれないが、それはそれで結構面倒だろう。
特に、自分の作成したプロンプトだけならまだしも、AIツール自体が対象となる著作物を学習対象に含んでいるかどうかを把握するのは非常に困難となる。
したがって、特に生成AIの場合は、学習過程が不透明であることから、依拠を推認する必要性が高いものと思われるため、「著作物との類似性」がより重要となると考えられる。